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ラピデム寺島のセラピストエッセイ
ラピデムオリジナルでつくった特別なアロマキャンドル、ディープスリープキャンドルです。

アロマのはなし 第二回〖香りの歴史 前篇〗

こんにちは、ラピデムのインストラクター兼セラピストの寺島雪江です。

25年のセラピスト人生で、スパ業界で得たこと、学んだことなど、日本のスパ文化をずっと見てきた私が感じたことや、思うことなどを書いていこうと思っています。

そして今回は、ずっと一度学びなおしてみたかった、アロマの歴史について、この機会にやってみました。予想を上回る文量になってしまいましたので、前篇、後編と2部構成になっております!

【始まりは5000年以上も前!?】

人類が香りを利用するようになったのは、火を発見したときからといわれています。

香りの歴史は人類の文明そのもの。アロマセラピーのルーツを遡りながら、「香り」の役わりを紐解いていく旅にお付き合いください。

【古代エジプト文明×香り】

紀元前3000年よりも前から香りの文化は存在していました。

香りの成分を植物から取り出す蒸留方法が発見されたのはもっと後の時代なので、この時代は、植物を油に浸して加熱したり、油に浸した植物を布できつく絞って香りの成分を取り出していたようです。

香油や香水として体に塗ったり、また、宗教儀式や、薬や消臭剤、防腐剤として使われていました。植物の“香り”を使ったパイオニアは古代エジプト人ともいわれています。

古代エジプトの王ファラオの庭では世界中から集められた色々な薬草が栽培されていて、当時の聖職者や医者が、祈りや戦いの時などにファラオが使用する為の薬を香油から調合していたそうです。

紀元前1,500年のパピルス文書には700種類もの薬の調合や処方が記されていて、その中には体臭を消すための調合もあり、これは最古の消臭剤だったといいます。

香油がミイラの保存に使われていたのはアロマセラピーの歴史を語るうえで外せません!

このとき、防腐剤として使われたのがミルラ(没薬)で、名前の由来はミイラからきているといわれています。

また、古代のエジプトでは太陽神ラーへの祈りが1日3回捧げられていました。

薫香として日の出には“乳香”、正午には“没薬”、そして日没には“キフィ”を焚き、儀式をおこなっていたそうです。香りを祈りで捧げる、なんて優美な風習ですね。

“キフィ”はエジプト人に好まれていた香りの一つです。

ショウブ、カッシア、シナモン、ペパーミント、シトロネラ、ピスタチオ、ジュニパー、アカシア、ヘンナ、サイペルスなど23種類の植物からなりたち、かなり複雑で奥深い香りだったと想像します。 1922年に発掘されたツタンカーメン王の墓からは、乳香(フランキンセンス)やスパイクナード、キフィの軟膏が発見され、未だ香りがしたというから驚きです!

【ギリシャ医学×香り】

古代ギリシャ人は、芳香植物に関する知識の多くをエジプトのナイルの谷から得たといわれています。

先ほどの“キフィ”もエジプトからギリシャ、ローマへと伝わりました。

紀元前460年に生まれた古代ギリシャの医師ヒポクラテスは“西洋医学の父”とも呼ばれ、それまでの呪術的な医療と異なり、健康・病気を自然の現象と考えて科学に基づく医学の基礎をつくります。

植物やハーブの香りがもつ有効な成分を薬として使い、約400種類もの治療法を著書で書き残しています。

彼のおこなう治療には、マッサージやハーブの内服、温泉や物理療法が含まれていました。

ヒポクラテスは、“芳香浴と、香りを漂わせたマッサージを毎日行うこと。””医者はあらゆる事に精通していなければならないが、とりわけマッサージについては最も知っておかなければならない。”と話していたといいます。

わたしたちセラピストが施すマッサージの大切さを実感する言葉です。

また、ギリシャ人は、甘くかぐわしい香りは神聖なものから発せられると信じていて、古代神話の神々は香油をまとったローブを着て、香りの漂う雲に乗って地上に降り立ったというロマンチックなエピソードもあります!

そして、ローマ帝国の巨大化につれ多くのギリシャ人医師がローマで雇われ、彼らの知識を他の先進文明へと伝えていくのです。

【ローマ帝国×香り】

ローマ皇帝軍のギリシャ人軍医だったペダニウス・ディオスコリデスは、現存する最古のギリシャ植物(薬草)誌“De Materia Medica”を書き上げます。

これは約500種の植物の生態をまとめた全5巻からなるもので、1,000以上の植物薬について記されていました。

この時代のローマ人の香りの使い方はかなり過剰(笑)。

軟膏、香油、粉末の3種類の香油や香水を、髪、身体、衣服、寝具、そして入浴後のマッサージにと大量に使っていたそうです。

古代エジプトの女王クレオパトラが寝室にバラをしきつめたり、香油を巧みに使ってローマ軍人のマーク・アントニーをそそのかしたのは有名なおはなしです。 余談ですが、‘perfume’の語源は “煙を通して薫ずる”を意味するラテン語の‘per fumum’ で、香を焚くことに由来しているのですが、古代ローマの皇帝ネロは、妻の葬儀で異常な量のお香を焚いたといいます。

【中世ヨーロッパ×香り】

現在、多くの精油(エッセンシャルオイル)は水蒸気蒸留法によって抽出されています。

蒸留法そのものは紀元前のメソポタミア文明が起源とされていますが、10~11世紀にアラビアの錬金術師や薬剤師たちによって、現在の水蒸気蒸留法が確立されたといわれています。

中世のヨーロッパでハーブ栽培の主な担い手となったのは修道院でした。

12世紀、ドイツの女子修道院長で“自然療法の母” といわれたヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、精油やハーブ、宝石を活用した治療を施していて、ヨーロッパに初めて「ラベンダーLavandula」という言葉と共にその優れた薬効を紹介したのです。

まだ女性が勉強や文字を書くことを許されない時代に、初めて教皇に認められ、治療法や哲学書でもある古文書を書き残しています。

そして、14世紀に入るとハーブや香りがもたらす薬理効果が注目を集めます。

伝染病(ペスト)の流行です。

街中では、悪臭と伝染病を抑えるために乳香、安息香 、パイン (松) などを燃やし、香煙や香りのするロウソクが病床でも用いられました。

当時の医者は、シナモンやクローブといった芳香性のハーブが入ったマスクで鼻を覆って、吸い込む空気をろ過していたそうです。

一般の人々も香りの強い植物を頻繁に持ち歩いたり、匂い玉という形で身につけたりして、伝染病から自身を守るようになりました。

薬剤師や香水商など常に香りのそばにいる人たちは、ペストにかからなかったという噂まであったというので、まだ医学が発展していないこの時代にとって芳香植物はいわゆる“頼りの綱”だったのだと思います。

さくっとお話するつもりが、香りの逸話が面白くてあれもこれも伝えたくなってしまいました。。。

次のお話は、後半に続きます!

いよいよ「アロマテラピー」の誕生です!

参考

国際アロマセラピスト連盟(IFA)

https://ifaroma.org/ja_JP/home/explore_aromatherapy/what-is-aromatherapy/history-aromatherapy

投稿者プロフィール

Yukie Terashima
Yukie Terashima
Lapidem Tokyo Spa セラピスト&インストラクター

愛知県出身。ヴィセラジャパン、パンピューリジャパンなどを経て、2020年にセラピストとしてラピデムにジョイン。21年5月からはインストラクター業務に携わり、商品開発、トレーニングなど幅広い領域に従事。ライフワークはベリーダンス。