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ラピデム寺島のセラピストエッセイ
睡眠と照明

アロマのはなし 第三回〖香りの歴史 後篇〗

こんにちは、ラピデムのインストラクター兼セラピストの寺島雪江です。

25年のセラピスト人生で、スパ業界で得たこと、学んだことなど、日本のスパ文化をずっと見てきた私が感じたことや、思うことなどを書いていこうと思っています。

そして今回は、ずっと一度学びなおしてみたかった、アロマの歴史について、この機会にやってみました。予想を上回る文量になってしまいましたので、前篇、後編と2部構成の後編です。奥深いアロマの世界を少しでも感じてもらえればと思います。

香りの歴史は人類の文明そのもの。アロマセラピーのルーツを遡りながら、「香り」の役わりを紐解いていく旅の第2章です。

香りの歴史の始まりは今から5000年以上も前!

文明とともに古代エジプトから、ギリシャやローマ、そしてヨーロッパへと主に薬草学として広まったと考えられます。

やがて、錬金術とともに発展した蒸留技術によって植物から芳香成分のみ抽出された “精油”がつくられるようになり、「アロマテラピー」の誕生へと繋がります。

【最古の香水】

「香水」といえばフランスのイメージが強いですね。

貴族の間で体臭を消すエチケットとして香水は人気になり、エリザベス1世、ルイ14世、マリーアントワネット、ナポレオンなども超がつくほどの香水好きで知られています。

南仏グラースは、現在も世界の著名な香料会社や化粧品会社が集まり、調香師を多く輩出する街として有名です。

もともと皮革産業として栄えた街でしたが、製品の臭い対策として“香り”が用いられて、その後香水産業へと転換。温暖な気候でミモザ、ラベンダー、ローズマリーなど香りのよい植物(ハーブ)が自生しやすい土地だったことも関係していたかもしれません。

16世紀には、世界最古の香水といわれる「ケルンの水」が誕生します。

イタリアからドイツ・ケルン (Cologne) に移り住んだ元フランシスコ会修道士によって紹介され有名になり、フランス語の「オーデ・コロン (Eau de Cologne) 」という名称も、じつは「ケルンの水」を意味しています。

ベルガモット、オレンジ、レモン、ローズマリー、ラベンダー、タイム、そしてネロリの精油が含まれていて、400年たった今でも愛されている香りです!

そして、もう一つ代表的な香水「ハンガリー王妃の水 (ハンガリーウォーター)」が発明されたのもこの時期。

もともとはハンガリーの修道士が、高齢だった王妃のためにローズマリーを用いたハーブチンキを外用薬として献上したのが由来です。新鮮なローズマリーの花、セージ、バラ、ラベンダーをアルコールで蒸留したもので、”若返りの水“とも呼ばれています。

この2つの香水は、もとは香りを身に着ける目的ではなく、胃薬や鎮痛薬として健康を促進するものとして使われていたんです。

17世紀になると、イギリスでは薬草医の黄金時代に突入します!

1653年、植物学者であり、薬草医・医師のニコラス・カルペパーが英語で出版した『ハーブ事典 (The Complete Herbal) 』は、薬用効果のあるハーブが何百も紹介されており、現代の薬草医学においても大きな影響を与え続けています。この本は41版まで出ているベストセラーです。

この頃には蒸留技術の進歩により、多くの精油がつくられ薬草医のための「マテリア・メディカ (医薬品) 」に加えられていきます。

これまで芳香植物によってつくられてきた「香り」の歴史は、18~19世紀にかけて化学の飛躍的な発達により大きな変換期を迎えます。

科学的研究が進み、精油が分子レベルで解析されたことによって初めて、化学者達は古代からある香りの様々な化学成分や、その性質を知ることになります。

それにより、人工的に香りや薬も安価につくることが可能になったのです。

合成香料の発明で量産が可能となり、香水もそれまでは貴族のものだった高級品から民衆のものへと変化していきます。

【“アロマテラピー”の誕生】

じつは、アロマセラピー(アロマテラピー)という言葉が生まれたのは、この、香りの長―――い歴史の中でつい最近のこと。

アロマ=芳香+セラピー(テラピー)=療法という言葉をくみあわせた造語です。

「アロマテラピー」という言葉を最初に使い始めたのは、フランスの化学者のルネ-モーリス・ガットフォセ。

ガットフォセは実験中に手にひどい火傷を負ってしまい、たまたま近くにあったラベンダー精油の瓶にとっさに手を突っ込んだところ、痛みが消え傷痕もできずきれいに治ったという体験から、精油の薬効について熱心に研究を始めます。

そして、1937年に著書”Aromathérapie”が発刊され、「アロマテラピー」という言葉が使われ始めるようになりました。

フランスで、医療として「メディカルアロマテラピー」が発展する基をつくったもう一人が、フランスの軍医ジャン・ヴァルネ博士です。

インドシナ戦争中(1948年〜1959年)、ジャン・ヴァルネはラベンダーやティートゥリー精油を負傷した兵士の治療に使用するなど、医療の現場で精油を使用しています。

医療的・科学的アプローチの「アロマテラピー」がフランスで確立されていく一方で、イギリスでは精油の精神面への作用を重視し、心身を1つのものとして全体に対してアプローチする「ホリスティックアロマセラピー」が発展していきます。

1930年代に、「精油を植物油に希釈して塗布する」という、独自のトリートメント手法を開発したのがイギリスのマルグリット・モーリー女史です。

彼女によって、精油が癒しと美容をもたらすものとして利用されるようなり、現在のアロマセラピーサロンや、化粧品での精油の活用の道が切り開かれたといえます。

【現代日本×香り】

東洋では西洋と異なる香りの文化が発展します。

古代インドのアーユルヴェーダ(生命科学)がその起源とされていて、白檀や沈香、シナモンなどのスパイスが宗教儀式や医療に使われており、紀元前2,000年頃に書かれた古い書物“Vedas”に700種を超える植物や物質が記されていたといいます。

古代中国においては、植物の薬効に関する知識は非常に進んでいて医療(中医学)で用いていましたが、紀元前2世紀にシルクロードが開通し、東西の文化が交わるなかで香料や薫香といった香りの文化が中国に伝わったといわれています。

日本には6世紀の飛鳥時代に仏教伝来と共に香りの文化が伝えられたとされています。

その後、14世紀の室町時代には「お茶」とともに武士の嗜みとして「香道」という日本独自の香りの文化へ発展します。

香りを「聞く」という感性は、日本人の繊細さと精神性がとても表れています!

六種類の香木を用いて組香(くみこう)をつくって香の組み合わせを当てたり、香を一つずつ順番にまわして、その香の名前を当てて楽しんだという、同じ時代の西洋の調香師が知ったらびっくりするような遊びが流行っていました。

日本にアロマセラピーという言葉がもたらされたのは1980年代。

アロマセラピーに関する著書が数々翻訳されたり、ヨーロッパで学びを得たセラピストたちによって徐々に広まり、1996年には日本アロマテラピー協会(現在の日本アロマ環境協会)が設立されます。

当時は「いい香りで癒される」くらいにしか認知されていませんでしたが、今では、精油や香りによる効能が世界中の研究によって証明され、紹介される機会が増えることによって、予防・補完療法として注目されるようになってきました。

奇しくも、2020年以降は自宅で過ごすことが多くなったことで、無意識のうちに、身近に好きな「香り」を置き、楽しむかたが増えているように思います。

昔、武将たちが命をかけた戦いの合間に、ひとときの休息の楽しみに香道を嗜んだように、現代のストレス社会を生きる私たちにとっても、「香り」は変わらず穏やかな気持ちをもたらしてくれています。

どれだけ時代が変化して、生活様式が変わっても、本能的に”嗅覚“が心地よく暮らす術を嗅ぎとっているのかもしれません。

5,000年の、長―い香りの旅にお付き合いいただきありがとうございました!

参考文献

国際アロマセラピスト連盟(IFA)

https://ifaroma.org/ja_JP/home/explore_aromatherapy/what-is-aromatherapy/history-aromatherapy

古都鎌倉・小町通り香司 鬼頭天薫堂

https://www.tenkundo.co.jp/fragrance/history.html

投稿者プロフィール

Yukie Terashima
Yukie Terashima
Lapidem Tokyo Spa セラピスト&インストラクター

愛知県出身。ヴィセラジャパン、パンピューリジャパンなどを経て、2020年にセラピストとしてラピデムにジョイン。21年5月からはインストラクター業務に携わり、商品開発、トレーニングなど幅広い領域に従事。ライフワークはベリーダンス。